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自信がない

最近の私はこの一言につきる。
何をもってしても自信がない。自分が必要のない人間に思えてしょうがない。どうでもいいことしか言えない。私と一緒にいる人は、みんな内心つまらないと思っているに違いない。

何に起因するんだろう、この自信のなさは。
難関国立大の友達と話していると、私は教養がないということを痛感させられる。普段から何も考えていないということがぼろぼろと浮き出てくる。
そう、私は何も考えていないのだ。だからしゃべることがない。冗談の一つも言えない。

夢を語れる人は美しい。希望に目を輝かせるその視線は、まぶしすぎて直視できない。直視できないのは、自分の頼りなさを実感せざるを得ないから。引け目を感じているのだろう。

私には夢がない、のだろうか。夢の大きさについて考えることが多い。私は、好きな音楽を聴きながら散歩することに幸せを感じる。くるりのハイウェイは最高だ。一方で、海外の農村を開発援助したいと語る青年がいる。彼はそのために留学をし、日々勉学に努め、目標達成のための道を歩んでいる。

ここにある差は、他者の存在だろう。私の幸せは一人で完結している。彼の夢は世界に関係している。
「職業に貴賤はない」ならば「夢にも貴賤はない」といえるかしら。
たとえば、AV女優は一般に世間体はよくない。しかし、誇りを持って仕事に取り組む女性がいるのも確かだ。自分の軸、仕事に対する誇り。他人の理解を得ると安心はする。しかし、最重要事項ではないはずだ、他人の理解は。もっとも大切なのは、自分が対象に対して誇りを持てるかどうか、ではないのか。

しかし、他人の理解や承認が誇りに結びつきやすいのも事実だろう。私はここで足踏みをしているのだ。ただ、音楽を聴いて緑の中を歩くことにいまいち誇りを持てていない。第一、努力をしていない。

「隣の芝生は青い」
圧倒的に打ちのめされる経験、自分がつまらなく思えて鬱々とする経験。これらがあってこそ、自分を磨こうと思えるのもまた事実。ただ、隣の芝生を真似るのではなくて、自分の芝を大事に育てればいい。目移りしたって、つみあがっていかないし。

そうだな、まずは努力が必要なのではないかしら。努力したあとに、語れることもついてくる。
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